一言主考察(主は最初は一言主だった?)

アカイイトの「主」が当初は天津甕星ではなく一言主だった可能性を検討しました。

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↑当方作成のアオイシロWKSで21:45あたりから葵先生が葛城氏について解説してます。

何を馬鹿な事をと思われそうですが、どうしても主が天津甕星であるという設定に納得がいかず(そんな事如何でも良いと思われるかも知れませんがw)元ネタと思われる伝承を整理したら意外な結論に辿り着きました。
それは、開発当初、もしかしたら主は一言主だったのではないかという事です。
まずはアカイイトで元ネタになったと思われる代表的な伝承のご紹介と、脱線気味ながらお勉強も交えて考察してみます。なお、途中から葛城氏やら賀茂氏の説明も出て来るので古代氏族等に興味が無い方には退屈かも知れませんが、読めば一応説明に必要なものであるとご理解していただけるものかと思います。


・『古事記』下巻・雄略天皇条

ある時、雄略天皇が紅い紐に青摺りの服(祭祀用の衣裳)の百官を従えて、葛城山に登られた。ちょうどその時、まさに天皇方と全く同じ形、同じ様子の行列を見出した。天皇は「この(やまと)の国の王は自分以外居ないのに、そのように(自分のように)行くのは誰か」と問われた。すると、相手方から同じ問いが返って来た。怒った天皇は相手を打つ為に矢刺しをすると、相手も矢刺しをした。天皇は相手に名乗りを要求、名乗りあってから矢を放とうと言われた。相手は「吾は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言い離つ神、葛城の一言主大神ぞ」との応答に、天皇はかしこまり「宇都志意美(うつしおみ)あらむとは覚らざりき」と、思いがけない現身を持った神の出現に驚き、天皇の大御刀・弓矢をはじめ百官の衣服を脱がせて神に献上、神はそれらを受納した。天皇の葛城山からの還幸に際して、一言主大神は長谷の山口まで送り申し上げた。


・解説
この一言主は紀元四〜五世紀の頃、葛城の地を本拠地とし、大王(天皇)家に匹敵する勢力を誇った葛城氏と関係がある神と言われている。実在がほぼ確実視されている葛城襲津彦(かつらぎのそつひこ)の娘は仁徳天皇の后となり、履中・反正・允恭天皇を生むなどして、天皇家との外戚関係を築き上げ、葛城氏は権勢を誇った。
しかし、襲津彦の死後、襲津彦の孫の玉田宿禰(たまだのすくね)が允恭天皇に討たれ、玉田宿禰の息子である葛城円(かつらぎのつぶら)は安康天皇を殺害した眉輪王をかくまった為に雄略天皇に殺され、以後、葛城氏の勢力は衰退する事になる。
だが、森公章の『倭の五王 5世紀の東アジアと倭王群像』(山川出版社)によると、(葛城本家が滅ぼされた後も)『古事記』の一言主の神話が伝えるのは葛城山中では天皇といえども葛城の神に屈服せねばならなかったことと、葛城氏の勢力がなお強力であった事を示すという。

なお、井伊章の『倭の人々』(金剛出版)によると、「この神話を現代語に解釈すると、深山でみられる御来光という自然現象であり、自分の姿が山向こうの煙霧の中に数倍の大きさとなって現れ、かわされた一言一言の問答は山彦現象と解し得る」とある。


・『日本書紀』雄略紀

雄略四年(460年)二月、(雄略)天皇は葛城山に狩においでになった。突然長身の人が出現し、谷間のところで行き合った。顔や姿は天皇とよく似ていた。天皇はこれは神であると思われたが、わざとお問いになって、「どちらの公でいらっしゃいますか」といわれた。背の高い人は「現人神である。まずはあなたの名を名乗りなさい。そしたら自分も言おう」と言われた。天皇は答えて「私は幼武尊(わかたけるのみこと)である」と。すると背の高い人は、次に名乗って「自分は一事主(古事記の一言主と同じ)である」といった。そして一緒に狩りを楽しんで、鹿を追い詰めても矢を放つ事を譲り合い、(馬の)(くつわ)を並べて(馬首を並べ、一緒に行動するという意味)馳せ合った。言葉も恭しく、仙人に逢ったかのようであった。日も暮れて駆りも終わり、神は天皇を見送りされて、来目川までお越しになった。この時、世の人々は誰もが「天皇は徳のあるお方である」と評した。


・解説
こちらは神の前に天皇がかしこまった『古事記』と違い、葛城山の神が天皇と対等に描かれており、倭王権最有力豪族・葛城氏の屈服を反映するものと考えられる。葛城氏の奉斎神が雄略天皇に見出されたという点をみれば、葛城氏の祭祀権が奪われた事を意味すると言う。

(余談だが、一言主の他、アカイイトで名が語られる小子部栖軽文石小麻呂は、全てこの話に登場する雄略天皇の御世に名前を見る事が出来る。なお、物部氏(アカイイトでは「鬼部」)が台頭し始めたのはこの雄略朝辺りからと言われているのが通説のようで、深読みするとアカイイトの世界ではこの時代から鬼切りのような者が現れ始めたと想定していたのか?)

ともあれ、雄略天皇の頃には天皇より上、あるいは対等に見られた一言主も『日本霊異記』が作製された頃には権威が失墜し見る影も無くなる。


・『日本霊異記』上巻

孔雀明王呪経の呪法を修め、不思議な力を得、現世で仙人となり空を飛んだ話 第二十八

役優婆塞は賀茂の役の公の氏、すなわち今の高賀茂朝臣の出である、大和国葛木上郡茅原村の人である。生まれつき博学で、常に仏法を信仰していた。毎夜五色の雲に乗って大空の外に飛び、(中略)孔雀明王呪の呪法を修め、不思議な術をさとった。鬼神を駆使することは自由自在で、多くの鬼神を駆り立てて、「大和国の金峯山と葛木山との間にひとつの橋をかけよ」といった。そこで神々は皆困り果て、文武天皇の御世に、葛木山の一言主の大神が人に乗り移って讒言して、「役優婆塞は天皇を滅ぼそうとしている」と言った。天皇は命じて、使いをつかわし、優婆塞を捕まえさせたが、なお不思議な力で簡単には捕まらなかったので、優婆塞の母を捕まえた。優婆塞は母を許してもらうために、出てきて捕まえられた。すぐに伊豆の島に流された。その時体が海上に浮かび走る事陸を歩くがごとく、高い山にいて、飛ぶ事は鳳がかけるようであった。(中略)この島に流されて三年が過ぎ、恩命下り、大宝元年(701)正月に朝廷の近くにかえされ、ついに仙人となって空を飛んだ(中略)あの一言主の大神は、役優婆塞に呪法で縛られて、今になっても解けない。(以後、関係の無い記述なので省略)


・解説
仏教説話である『日本霊異記』では当然の事ながら、神よりも仏の方が優位の世界観で話が語られている。仏法を収める役優婆塞が鬼神を使役し、ただ一柱、役優婆塞に反抗し、人(韓国広足か?)に乗り移り天皇に讒言した一言主は罪を許された役優婆塞により呪縛されたというのが話の筋。『本朝神仙伝』では容貌の醜い一言主が昼間の作業を拒んだ為に役優婆塞に呪縛され谷底に置かれ、その身には葛が七めぐりに巻きつき、呻き声は年を経ても絶えないとある。

他に、謡曲『葛城』では山伏の前に現れた女が、自分は葛城山の神の化身であり、岩橋を掛けなかった咎で蔦葛で縛られ、今も三熱の苦しみが絶え無いゆえ、祈り加持をして苦から救ってくれるように頼んで消える。(前段)そして山伏が夜の勤行を始めると、岩戸から女神が現れ、月光を照らす山中で大和舞を舞い、醜い顔を恥じて、夜明けを待たずに身を隠す(後段)という筋である。
『続日本紀』天平宝字八年十一月の記事によると、昔、大泊瀬天皇と狩りで争い、天皇が激怒して土佐の国に流された。是を時の天皇が下賀茂朝臣田守を遣わし、大和国葛上郡に高鴨神が戻されたとある。同じ六国史であってもこの頃には『日本書紀』雄略天皇紀の記述など忘れ去られたような扱いである。
また偽書『先代旧事大成経』ではハヤサラスヒメという娘の神と姦通を行い、天から降りた鬼神により処罰の太刀を受け、片輪の身になったと伝えられている。
この様に記紀よりも後世に創作された伝承では、酷い伝承ばかり目立つ。

ミルトンの『失楽園』において悪魔とされた多神教の神々を例に挙げるまでも無く、衰退した旧勢力が信仰していた神々は新興勢力により否定され、軽視される事になるのは世界共通であるが、それにしても、かつては天皇家に比肩する勢力を誇った葛城氏の祭神としてはあまりにも寂しい凋落ぶりであり、幼い皇子を守ろうとした葛城円の潔い最期に涙する自分としては無念である。

・アカイイトと一言主の関連性

若杉葛がノゾミ達を追い払った時の
ただ一言を放つだけで、天地をも操る言霊使いの鬼神。その鬼神の封じられていた力を、血を介して受け継いだ葛ちゃんが振るう。
とはまさしく一言主の力を指す。鬼神の力が封じられていたのは役優婆塞により呪法で縛られていた為であろう。また、若杉葛が羽藤柚明を柱の継ぎ手から完全にオハシラと化して、主の封印を強化するのは役優婆塞が一言主を葛で封じたオマージュにも見える。葛という名も安倍晴明の母「葛葉」だけではなく、葛城山の一言主ともかけているのか?
(武内宿禰の妻で葛城襲津彦の母親の名「葛比売」から来ているというのは、流石に深読みのし過ぎ?)

・主は開発当初は一言主だった? と、トンデモ仮説を唱えてみる

アカイイトではサクヤルートで名前こそ登場しないが、役小角の話から、主の正体が天香々背男である事が解るが、ストーリーを分析していくと、香々背男と関係ありそうなのは千羽妙見流と関連する妙見信仰ぐらいであり、設定の不自然さが否めない。
では、開発当初、主は何者であったのか? 最初は一言主であったのが、開発中に何らかの事情があって天香々背男に変更したのではないのか? その痕跡は幾つか上げる事ができる。

例えば、アカイイトの槐の神木が樹齢千二百年以上であるが、葛木坐一言主神社の銀杏の神木も千二百年程であるという。 銀杏(いちょう)(ちょう)の音に通じるが、一工夫して蝶の羽が花弁の形に似ている槐を登場させたのであろう。そして、先に述べたように羽藤柚明を継ぎ手から完全なオハシラに変成し、主の封印を施すのは一言主を封じた役小角のオマージュであろう。

また、アカイイトでは若杉葛が丹塗矢の説明をする。簡単におさらいすると、川上から流れてくる丹塗矢によって水辺の乙女が懐妊し、神の子を生む話。この丹塗矢は神の化身であるという。葛は『古事記』の大物主を例に挙げていたが、丹塗矢の説話はこの話のみならず、複数存在する。類似の話としては『山城国風土記』逸文・賀茂社条では、賀茂氏の祖神、賀茂建角身命と子の玉依比売が小川で川遊びをしている時、丹塗矢が川上より流れてきて、これを床に挿して置いたら、(玉依比売が)孕み男子を産んだと言う話が伝えられている。

『釈日本紀』所引の『土佐国風土記』逸文によると
「土佐郡の高賀茂大社の祭神は一言主尊だが、祖はつまびらかでなく、一説には味耜高彦根尊(あじすきたかひこねのみこと)と伝える」
とある。
味耜高彦根は高鴨神社の祭神である。これは葛木(葛城)と鴨(賀茂)の結びつきが強かったことを示すらしく、葛城と鴨は出身が同じ場所でもある。
そのため、賀茂氏の神話を一言主に当てはめてみるのもさほど違和感は無い。

(余談だが、役小角は賀茂氏の出であるため、本当は一言主を封じたのではなく、一言主を奉斎する立場であったと思われるが、後世、葛城山でも徐々に仏教徒(雑部密教か?)の影響力が増すと葛城山のリーダー的立場であった役小角がいつの間にか修験道の開祖として語られるようになり、葛城の人々を丸め込む為に名を利用されたのであろう。)

これらの事を考慮すると「主」は元々天香々背男(天津甕星)ではなく、その名にも「主」の字を持つ「一言主」を想定していたと考えた方が自然ではないだろうか? 『日本書紀』の神武即位前紀では高尾張邑(たかおわりむら)に土蜘蛛が存在していて、これを葛の網を作ってこれを殺し、その事から邑の名前を改めて「葛城」としたとあるが、葛城には天皇家と対抗した最大勢力の葛城氏の滅亡後も王権に抗う者が住まうという暗いイメージを古代人は抱いていたと言われている。その為、味方(尾花)よりも、むしろ敵キャラとした方が解り易いが、記紀以降の伝説があまりにも情け無く、ボスキャラとしては力不足であるが故に本来蛇神とは関係無いと思われるが、天神とも渡り合ったという天香々背男を主としたのでは?

どうやら天香々背男は『先代旧事本紀』(江戸時代に偽書とされたが、近年その史料的価値を見直されつつある)の天背男命と同じ神であるという説が有力な様で、(詳しく知りたい方は谷川健一の『白鳥伝説』か、竹内健の『邪神記』あたりを参考にしてください。)その場合、『先代旧事本紀』や『新撰姓氏録』から想定される天背男命の祖は八岐大蛇ではなく、カムムスビノミコトあるいはタカミムスビノミコトであると思われる為、もし『先代旧事本紀』や『新撰姓氏録』を参考にしていれば、アカイイトの天香々背男の名が「カカ」だから「蛇」であり、八岐大蛇の末裔であるという拙い設定は有得なかったはずだが……おそらく「カカ」が蛇であるという吉野裕子の説を取り入れたものであると思われるが、星神である為、通説どおり率直に「カカ」=「輝く」という意味に解釈するのが妥当である。(アカイイトで参考にされていた吉野氏の著書『蛇 日本の蛇信仰』に関しての評価は『「青」の民俗学 谷川健一の世界』(岡谷公一+山下欣一=編 三一書房)の川村二郎氏の「ミダス王の悲しみ」では吉野氏の著書を「刺戟的であり、啓発的でもある」と評価しながらも「蛇信仰の最大の中心である三輪山の山容が蛇だという事を初めとして、こんもりと堆いものは鏡餅でも竪穴住居でも全て蛇だとなると、少し首を傾げたくなるのはやむを得ない」と疑問を呈している。)

因みに『アカイイト 設定解説ファンブック』によると、天香々背男を国津神としているが、『新撰姓氏録』では天背男命を天神(あまつかみ)に分類している。また、『日本書記』の伝承のみを参考にしたとしても、星の神である香々背男を国津神とする『アカイイト 設定解説ファンブック』の設定は明らかな間違えである。(言うまでも無いかも知れないが「国津神」は本来「地祇」と表記するので名前に「天津」を冠し、『日本書紀』では「天に悪い神がいます。」とまで書かれている天津甕星を国津神とするのはおかしいので)

それとも海外神話とのクロスオーバーで

蛇→サタン→ルシファー→金星→天津甕星

を想定したとしたら余りにも安易である様に思える

とはいえ、浅間サクヤが奇稲田媛の末裔である羽藤桂の守護者と言う事で建速須佐之男命の力を受け次ぐという設定にこだわるのであれば、八岐大蛇と同じく肥の川に現れた蛇の女神・肥長比売あたりを選んだ方が自然ではあるが、あまりにも濃すぎる故にゲームには不向きであり、逆に八岐大蛇の末裔とも伝えられる酒呑童子ではありたきりすぎるか。
恐らく苦心の上で妥協した設定であったのであろう。この一点のみを取り上げ、価値が下がるような作品ではない。

【追記】
柳田國男は著書「一言主考」で以下の様に述べている。

葛木一言主の名の起こりとしては、雄略帝此神に逢ひて名を問ひたまいしに、神只「主」とばかり答へたまひしとも言ひ、或は又後年此峯に入りし者神の名を尋ねるに主の一言を以て答へし故に、一言主と謂ふのだとの説もあつた。

上記の説について柳田が如何なる伝承を参考にしたのか詳らかではないが、「一言主」が只「主」と名乗っていたという伝承或いは説があったという事かも知れない。麓川氏が「一言主考」を参考にしていたとすれば、アカイイトの主の正体が元々は一言主であったという推測もあながち間違っていないのではないだろうか? なお、柳田が一言主と狐に関わる伝承を取り上げていた事は尾花の姿が狐の理由をご覧いただければと思います。

 

或いは当方が考えている別のモチーフとして挙げられるのは大物主である。アカイイトで丹塗矢の伝承が紹介される事や、アオイシロでも最終決戦でわざわざ「八頭八尾を持つ“強大なる蛇”(くさなぎ)と呼ばれた崇神(もの)なのか。」という説明がされており、蛇と関わりが深い「主」の筆頭が大物主である事が理由である。こちらの方は一介の地方神程度に過ぎなかったと思われる天津甕星が如きよりも遥かに由緒正しく、恐らく天照大御神以前より歴史も古く、広く知れ渡っていた神であろう事から、敵キャラとして扱うには余りにも畏れ多いという事だろう。

いずれにせよ、作中の会話や用語解説などからアカイイトの主が天津甕星と結びつく伝承は見当たらず、既に述べた吉野裕子の説を拡大解釈した等とする他、推測する事が出来ない。

余談だが、坪内逍遥の『役の行者』では一言主が獣神のように描かれ、猛獣の七つ児の中の牝の子を、孕み子の内に生きながら取り出した生き血を吸おうとしている描写がある。是をアカイイトの設定のモチーフとして良いのか微妙な差がある為定かではないが、ネタ的に被る事を避けて主の様な設定になった可能性もあるかも知れない。

参考文献
『上代説話事典』 大久保喜一郎・乾克己/編 雄山閣
『もう一度学びたい 古事記と日本書記』 西東社
『倭の人々』 井伊章 金剛出版
『日本書紀(上) 全現代語訳』 宇治谷 孟 講談社学術文庫 
『倭の五王 5世紀の東アジアと倭王群像』 森公章 山川出版社
『日本霊異記』 原田敏明・高橋貢【訳】 東洋文庫97 平凡社
『異端日本古代史書の謎』 田中勝也 大和書房
『続日本紀』 経済雑誌社 (国立国会図書館デジタルコレクションより閲覧)
『歴史読本 『古事記』と『日本書記』謎の古代豪族 二〇〇五年七月号』 新人物往来社
『日本古代氏族事典』 佐伯有張清編 雄山閣出版
『修験道・実践宗教の世界』 久保田展弘 新潮選著
『蛇 日本の蛇信仰』 吉野裕子 講談社学術文庫
『「青」の民俗学 谷川健一の世界』 岡谷公一+山下欣一=編 三一書房
『アカイイト 設定解説ファンブック』  ジャイブ
『定本 柳田國男集 第九巻』 筑摩書房
『役の行者』 坪内逍遥 岩波文庫

アカイイト 若杉葛

今こそ葛城の復権の時なのですよ。。。尾花〜アオイシロでは出番無いのですか?

関連項目