大王号

「大王」号の使用時期について考察

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アオイシロではゲーム冒頭で葵花子先生が卯奈咲の昔話を以下の様に話す。

「艱難辛苦の果てに人口が半分程に減った頃、
 時の大王が姫に龍神様がお告げを下したのです」

卯奈咲の昔話のモチーフが崇神天皇紀である事は既に説明しているが、『日本書紀』では、この頃はまだ大王と言う称号は使われていない為、違和感があるかも知れない。製作者もその事を承知の上なのか、用語辞典には以下の様に書いている。

 五~六世紀の金石文に見える、大和朝廷の支配者を呼ぶ語。天皇号成立以前の大和政権の王を指す。
 天皇号が使われるようになったのは、神武天皇から数えて四十代目、六七三年に即位した天武天皇からだと言われている。推古天皇説もあるが、本編ではそのどちらよりも古い二千百年ほど前と年代特定されているため、天皇ではなく大王の称号が使われている。(以下、略)

と、ある。最近は五世紀頃の時代を大和朝廷と呼ぶ歴史学者は皆無ではないかと思うし、何かの解説本の引用っぽく具体的な例を挙げていない辺り、あまり丁寧に文献を読んでいないのではないかと思わざるを得ないが、(用語解説に時間をかけ過ぎて肝心な製作時間を削る訳にも行かないのは自分も身に染みて解りましたが)それはとにかく、具体的には何時頃から「大王」号が使われ始めたのだろうか? 用語解説の内容を例を取り上げながら詳しく見てみよう。

・『日本書紀』による「大王」の初見

『日本書紀』 巻第十一の仁徳天皇即位前紀によれば、応神四十一年春二月に太子(ひつぎのみこ)である菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)が弟の大鷦鷯尊(おおささぎのみこと)に位を譲り、大鷦鷯尊(仁徳天皇)に「大王者風姿岐嶷。仁孝達聆。以齒且長。足爲天下之君。」と申し上げているのが初見である。以後、允恭紀、雄略紀、顕宗紀、継体紀等にしばしば見える。これは『後漢書』等の文献によったものであるが、四世紀後半頃から朝鮮半島まで進出した大和王権の勢力拡張に伴い、この頃から大王を称し始めた可能性もある。

・金石文による「大王」の初見

埼玉県で発掘された稲荷山古墳の鉄剣銘文には「獲加多支鹵大王」と書かれており、これは「ワカタケルオホキミ」と読むのが通説であり、これは大泊瀬稚武(おほはつせわかたける)、つまり第二十一代天皇・雄略天皇を指す。また、下記画像の江田船山古墳の銘文にも「大王」と書かれており、銘文の一部が消失しているが、これもワカタケルオホキミを指すと言うのが通説である。


画像:江田船山古墳鉄剣(撮影場所:東京国立博物館 考古展)

上記同剣の側面に描かれた絵

銘文部分の画像を拡大すると「大王」と書かれている事が解る

千葉県市原市の稲荷台一号古墳が調査された際、「王賜」と書かれた鉄剣が発掘されたが、これは稲荷山古墳の鉄剣銘文よりも少し古い五世紀半ばの物と推定されている為、この頃はまだ単に「王」と呼ばれており、歴史学上では初めて大王と呼ばれたのは雄略からというのが通説のようだ。(異論としては『宋書倭国伝』にあるように対外的には倭王を称していた事と、「大王」の名称は大王に仕え奉っていた人物からの敬称であり、大王号が成立していたという確証が無いという説もある。)但し、『古事記』では天皇の子を(みこ)と呼んでいるので、つまり王子から下賜されたという解釈も可能であり、実際はもっと以前から大王号を使われていた可能性も否定できないのではないかと思うが、津田史観の呪縛なのか、そう言った考えをする学者の意見を聞いた事が無い。

・崇神天皇と近い時代には「大王」号が使われていた?

ここまで見ると『日本書紀』を好意的に解釈しても第十六代仁徳天皇までしか遡らない為、卯奈咲の伝承にあるような、第十代崇神天皇の世で「大王」号が登場するのはフライングのように思われるかも知れないが、実は記紀よりも遥かに古い文献で仁徳天皇よりも早く「大王」号で呼ばれていた天皇の名が登場する。

鎌倉時代の学者、占部兼文と兼方父子のあらわした日本書紀の注釈書『釈日本紀』に「上宮記に曰く、一に云う」と言う形で『上宮記』という書が引用され、今に伝わっているが、書名から聖徳太子の伝記であると思われ、その文面から『古事記』や『日本書紀』編纂時よりも遥かに古い推古天皇の時代に書かれたものであるというのが通説である。この上宮記には第二十六代継体天皇の母方の系譜が、第十一代垂仁天皇から八代に渡って記録されており、始祖の名に伊久牟尼利比古大王(いくむにりひこおほきみ)と書かれている。伊久牟尼利比古大王は『日本書紀』の活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりびこいさちのすめらみこと)、つまり第十一代・垂仁天皇である。崇神天皇の三男であり、崇神と一代しか変わらない為、天皇家の勢力が畿内広域に及び始めたとみられる崇神の代には大王と呼ばれていたと見てもそれ程不自然ではない。

但し、単に推古朝当時の概念で「大王」と記されているのに過ぎない事も考えられる為、『上宮記』だけを見て垂仁天皇の世から「大王」と呼ばれていたと断定する訳にも行かないだろう。

現状の研究では一次資料(該当する時代から出土した金石文等)を記紀のような後世の資料よりも優先するならば、大王号は雄略天皇の時代からであると判断せざるを得ないが、上古の文献を丁寧に見ていく限り、必ずしも雄略以降と限定する事も出来ない。

・「皇子」号について

アオイシロの卯奈咲の伝承中に「皇子」という語も登場するので、ついでに考察する。「天皇」号の成立に伴うか、あるいはその後に「皇子」号が成立したと考えるのが普通の為、「大王」という呼び方をしながら「皇子」と言う語が登場するアオイシロの設定に疑問を感じる方は多いと思うが、『日本書紀』では巻二神代下第九段一書第五の一書に「吾皇子者、聞喜而生之歟。」とあるのが初見であり、神代以降の初見では『日本書紀』巻三神武天皇即位前紀甲寅年(紀元前六六七)に「諸皇子對曰。」とある。アンチ津田史観の当方も(といっても書店の古代史関連のコーナーに並んでいる大半のアマチュア研究家の本よりは津田史観の方が大分マシであるが)流石にこれを史実であると認める事は出来ないが、崇神天皇の時代を舞台とする卯奈咲の伝承を『日本書紀』の記述に寄った設定であるとすれば間違えでは無い。当方もアカイイトSS紅紡異伝「神々と鬼の間」では『日本書紀』の記述に従い、「皇子」号を用いている。

なお、歴史学的には飛鳥宮跡から発見された木簡に書かれた「大津皇」が「大津皇子」であると言われ、天武天皇十年、西暦六八一年前後から「皇子」という言葉が使われ出したのではないかと言われている。詳細は以下の「天皇」号についてをご覧ください。

・「天皇」号について

用語解説では天皇号の使用開始時期について、天武朝説と推古朝説を上げているが、まず、推古朝説では丁卯(推古十五年)の法隆寺薬師銘の「池辺大宮治天下天皇」(用明天皇)他、天寿国繡帳の「斯帰斯麻宮治天下天皇」(欽明天皇)等があり、以前は推古朝説が有力であったが、これらの文面は後世に書かれた疑いを持たれている為、現在では以下の理由により天武朝説の方が有力のようだ。

一九八五年、飛鳥宮から遠からぬ場所で千余点もの木簡が発見され、そこに記されている冠位名や氏姓、年紀などから辛巳年(六八一年=天武十年)か、その直後に廃棄されたものと考えられており、記載されている人名や地名に、『日本書紀』、ことに天武天皇の巻きに出てくるものの多い事や、天武天皇十年三月は帝紀・旧辞記定の事業が開始されていることから、これらの木簡を史料編纂の原資料としての宮廷中心の記録であるとする考え方も出されている。前項目で挙げた「大津皇(子)」や「阿直史友足(あきちのふみひとともたり)」などの人名の表記の仕方は、『日本書紀』とよく一致している事から、この頃には皇子・諸王の身分や諸臣の姓などの宮廷の身分秩序が整備されており、「皇子」の字を当てている事から当時既に「天皇」の称号が成立していた事の間接的な証拠となるという。但し、この場合は開始時期を天武朝であると限定するのではなく、確実に使われていたのが天武朝からであると解釈できるため、今後の研究によって、もっと時代が下る可能性もあるだろう。

なお、『日本書紀』巻第十九・欽明天皇九年四月条の分注に「西蕃皆称日本天皇為可畏天皇」とあり、朝鮮諸国ではより早く天皇号を使っていたという説もある。比較的近い時代の記録である『隋書倭国伝』には「新羅・百済、皆倭を以て大国にして珍物多しとなし、並びにこれを敬仰し、恒に通使・往来す」と書かれていることから、第三国である隋から見ても朝鮮諸国よりも倭国の優位を認めており、朝鮮半島の国から尊称として天皇号で呼ばれていたという可能性もあるのではないか。

余談だが、天皇号が使われ始めたのが六~七世紀からであるからと言って、昨今の歴史学者はそれ以前の天皇を例えば「雄略大王」等、漢風諡号と併せて大王号で呼ぶという、文献上有りもしない呼び方を行っている者も多数存在するが、学問的な意義は乏しいと言わざるを得無い。そんな無意味な事をする位ならば尊号(天皇在世中の名)、あるいは国風諡号(天皇崩御後、徳を讃えて贈られる諡号。事実上、安閑天皇以降は国風諡号をおくられている)で呼ぶべきである。(例えば雄略なら尊号の「オホハツセワカタケル」あるいは「ワカタケル」)尊号や国風諡号だと一般的には解りずらいという理由かもしれないが、「雄略大王」といった呼び方が通じるのも歴史学者(あるいはごく一部の古代史マニア)の間だけの話であるという事を認識すべきであろう。

関連項目

参考文献
『日本書紀(一)』 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注 岩波文庫
『日本書紀(二)』 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注 岩波文庫
『日本書紀(三)』 坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋 校注 岩波文庫
『日本書紀 Ⅰ』 井上光貞 監訳/川副武胤・佐伯有清 訳 中央公論新書
『新版 古事記 現代語訳付き』 中村啓信 角川ソフィア文庫
『古代天皇はなぜ殺されたのか』 八木荘司 角川書店
『ワカタケル大王とその時代―埼玉稲荷山古墳』 編集 小川良すけ・狩野久・吉村武彦 山川出版社
『律令国家と万葉人』 鐘江宏之 小学館
『新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝 中国正史日本伝(1)』石原道博編訳 岩波文庫