『源平盛衰記』海士老松が語る竜宮城と剣

  「剣」に関する記録・伝承のご紹介

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・『源平盛衰記』日巻四十四 老松若松剣を尋ねる事の概要

壇ノ浦の戦いで平時子が剣を抱え入水した為、朝廷は泳ぎの達者な海士に命じ、剣の探索をさせたが、剣は見つからなかった。後白河法皇が賀茂大明神に七日間参籠し、宝剣の行方について祈ると、七日目に老松・若松という海士に命じて、尋ねさせるようにお告げを受けた。法王は義経を召し、夢の趣旨を言い含めると、義経は壇ノ浦で二人の海士を召した。老松は法華経を書写した経を身に巻き、海に入ると翌日の丑の刻に戻ってきた。

後白河院は老松を召し話を聞いた。老松の話によると、竜宮城と思われる所へ入り、「大日本国の帝王のお使いです」と言い、宝剣の行方を尋ねると、庭上へ通されると、半ばあげている御簾の中を見ると、伏した長さが二丈もあろうかと思われる大蛇が剣を口に加え、七・八歳の小児を抱き、目は日や月のようで、口は赤くて朱を差したようで、舌は紅の袴を振るのに似ていた。

大蛇は言葉を出して、「宝剣は必ずしも日本の帝の宝では無く、竜宮城の重宝である。自分の第二皇子は私の不審を蒙って、海中に住む事無く、出雲国簸川の川上で、尾と頭がともにある大蛇となり、人を呑む事毎年に及んだが、素戔嗚尊はかの国の者を憐れみ、民を大切にして、かの大蛇を殺された。その後この剣を尊はお取りになって、天照大神に差し上げた。

景行天皇の御代に、日本武尊が東夷を平定された時、天照大神より斎宮をお使いとして、この剣を下してお与えになられた。私は伊吹山の裾で、伏した長さが一丈の大蛇となって、この剣を取ろうとしたけれど、勅命によって東国に下られていたので、私を恐れる事無く、飛び越えてお通りになったので、取る事が出来なかった。その後計略を巡らして取ろうとしても取る事が出来ず、簸川の川上の大蛇は安徳天皇となって、源平の戦乱を起こし、剣を竜宮に取り返した。口に加えている物は宝剣であり、抱いている小児は先帝安徳天皇である。平家の入道太政大臣平清盛公より始めて、一門は皆ここに居る」

と、そばにある御簾を巻き上がると、法師(清盛か?)を上座に据えて、気高い貴人が大勢並んでいた。

大蛇は「お前に見せて良い物では無い。けれどもお前が見に巻いている法華経の尊さに、経に結縁するため、元の姿を変えずに会うのである。未来永劫この剣を日本に返す事は無いであろう。」といい、大蛇は腹這いになって内に入って行った。

と、老松が奏上したところ、法皇を始めとして、公卿がたは皆同じく不思議な事と思い、それによって三種の神器の中で宝剣は無くなったと決定したのであった。

・解説

以上が海士老松が見てきたという竜宮城の様子の概略である。
中世には記紀神話が発展し、剣は元々、竜宮にあったという神話が創作されていた。
アオイシロでは水地の民、つまり竜宮の住人である馬瓏琉が剣を「奪い返した」のは、馬瓏琉の側からすれば『源平盛衰記』日四十四巻にあるように、元々剣は自分達の物であり、それが素戔嗚尊により奪われたという認識があったという設定であろう。
馬瓏琉のモチーフであるケルト神話のバロールは鍛冶屋から剣を盗み、鍛冶屋に育てられたルーに殺されると言う話も伝わっており、剣を奪うという行為で『源平盛衰記』とクロスオーバーさせているとしたら、中々面白い設定かもしれない。

参考文献
『完訳 源平盛衰記 八』 巻四十三〜巻四十八 石黒吉次郎(訳) 勉誠出版

関連項目

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