蜘蛛討ちのモデルは蜘蛛切に非ず?

 作中の蜘蛛切の説明だけで納得してしまったら50点です。

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まずはアオイシロにも説明がある蜘蛛切の説明を『平家物語』からおさらい。

・『平家物語』 第百八句 剣の巻 下

「源頼光が熱病に臥せっていたときのことという、ようやく熱も冷めてきた頃に、空から化物が下ってきた。頼光は、すかさず枕元の膝丸を抜き合わせ、確かに切った手応えを感じた。こぼれた血の跡をたどってゆくと、北野の塚穴までつづいていたので、掘り返してみると、蜘蛛であった。鉄串に指してさらしものにしたという。これにちなんで膝丸は「蜘蛛切」という名に改められたのだった。」


『能樂圖繪』 前編 上 より 「土蜘蛛」 耕漁 [画] 松木平吉

この説明を聞いた後、霊験あらたかな常咲の椿の枝で作られた木刀で蜘蛛を討ったので蜘蛛切がモチーフであると納得してしまいそうですが、それでは50点です。
蜘蛛切の説明はむしろコハクの吼丸に繋げるための前置きみたいなもので、蜘蛛討ちに関しては『平家物語』剣の巻よりも、以下に紹介する『日本書紀』の景行紀がモチーフであると考えられます。


・『日本書紀』 景行紀

「豊後国大分郡の鼠石窟に、青、白という二人の土蜘蛛が、また直入県の禰疑野には打猿、八田、国摩呂という三人の土蜘蛛がいたのだが、彼らが強くて配下の者が多いと聞いた天皇は、兵士達に海石榴(つばき)の木で作った槌を武器として持たせ、まず鼠石窟に住む土蜘蛛を皆殺しにした。流れた血はくるぶしが没するほどの深さになったといい、それで槌を作った地を海石榴市、血の流れた地は血田という。さらに禰疑野の土蜘蛛たちも皆殺しにされた。」


解説:
わざわざ刀剣よりも威力が劣ると思われる椿で槌を作っての土蜘蛛と呼ばれた人々に対する殺戮方法は異形の邪霊を撃退する呪術がその背景にあると言われています。もし椿に何らかの霊力を認めるのであれば、アオイシロの霊験あらたかな常咲の椿から作られた木刀が、『日本書紀』景行紀の話にあやかって蜘蛛討ちが生まれたと考えるのは妥当であると思います。

*追記
上記の説明はPS2版のものです。アオイシロWindows版では蜘蛛切りの説明の代わりにちゃんと景行紀の説明をしていました。(取りあえず汀ルートのみ確認)
なお、公式サイトのWebノベル(外部リンク:Webノベル「アオイシロ」第5章)では蜘蛛切りの説明の方になっていました。

参考
『平家物語 下』 新潮日本古典集 校注者 水原一
『日本書紀 上』 宇治谷孟 講談社学術文庫
『妖怪と怨霊の日本史』 田中聡 集英社新書
『能樂圖繪』 前編 上 耕漁 [画] 松木平吉 国立国会図書館近代デジタルコレクションより著作権切れ画像使用